境界性パーソナリティ障害のカウンセリング・心理療法
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境界性パーソナリティ障害(境界性人格障害)とは
境界性パーソナリティ障害、あるいは境界性人格障害(Borderline personality disorder)とは、自分自身や他者との関係がとても不安定で、感情や思考のコントロールが難しく、衝動的な行動をしてしまうような障害です。
情緒不安定パーソナリティ障害とかボーダーライン、境界例などと呼ばれることもあります。
人それぞれ、さまざまな性格(パーソナリティ)をもっています。
明るい人、静かな人、穏やかな人、はっきりものを言う人、傷つきやすい人、忍耐強い人、気分の浮き沈みが大きい人、自分に自信がない人、子どもっぽい人、クールな人。
人柄にはそれこそ十人十色でいろいろありますが、あるパーソナリティ特徴が極端になりすぎて、自分や他人をひどく苦しませてしまうような状態を、精神医学では「パーソナリティ障害」と呼んでいます。
パーソナリティ障害には、いくつかの類型があるのですが、その代表的なもののひとつが「境界性パーソナリティ障害」です。
「境界」という言葉が指示しているのは、もともとは「精神病」と「神経症」の間くらいの病態といった意味でした。
日常生活や学業、仕事などを営むうえで、適切に(ときには優れて)適応していることもあれば、人間関係などで非常に不安定になったり、極端な思考や衝動的な行動に走ることもあるのが特徴です。
特に親密な二者関係で、境界性パーソナリティの特徴が表面化することが多く、恋人や家族、あるいは支援者などの近しい人間関係で不安定になることがしばしば見られます。
境界性パーソナリティ障害の特徴と症状
DSM-5(アメリカ精神医学会による精神障害の診断と統計マニュアル第5版)にしたがって、境界性パーソナリティ障害の特徴や症状を見てみましょう。
対人関係、自己像、感情などの不安定および著しい衝動性の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになります。次のうち5つ(またはそれ以上)によって示されます。
パーソナリティの障害とみなされているので、ある程度、一貫してこうした特質をもつということになります。ですから、パーソナリティがほぼ形づくられる10代後半くらいから、こう診断されることが多いと思われます。
- 現実に、または想像の中で見捨てられることを避けようとするなりふりかまわない努力。
- 理想化と脱価値化との両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる不安定で激しい対人関係様式。
- 同一性障害:著明で持続的な不安定な自己像や自己観。
- 自己を傷つける可能性のある衝動性で、少なくとも2つの領域にわたるもの(浪費、性行為、物質濫用、無謀な運転、むちゃ食いなど)。
- 自殺の行為、そぶり、脅し、または自傷行為の繰り返し。
- 顕著な気分反応性による感情不安定性(例:通常は 2~3時間持続し、2~3日以上持続することはまれな強い気分変調、いらいら、または不安)。
- 慢性的な空虚感。
- 不適切で激しい怒り、または怒りの制御の困難(例:しばしばかんしゃくを起こす、いつも怒っている、取っ組み合いのけんかを繰り返す)。
- 一過性のストレス関連性の妄想様観念、または重篤な解離性症状。
1から9の症状について、簡単に説明してみます。
見捨てられ不安
最初に挙げられているのが「見捨てられることを避けようとするなりふりかまわない努力」です。「見捨てられ不安」といった言葉が用いられることもあります。「もうつきあいきれない」とさじを投げられることをひどく恐れて、相手にしがみついたり、ふりまわしたりしてしまうような行動を表しています。
見捨てられ不安には、「嫌われていないか」「私のことを怒っているのではないか」といったことも含まれています。
理想化と脱価値化
次に挙げられている、「理想化」と「脱価値化」とは、ある人のことを「私を救ってくれる神様みたいにすばらしい人だ」と理想的にとらえたかと思ったら、次の瞬間には「何一つわかってくれないひどい人」と価値下げをするといったようなことです。二極思考とか分裂(スプリッティング)という言い方もあります。
人に対する見方が神様のような存在から悪魔まで、あるいは「すべて良い」と「すべて悪い」のあいだを極端に揺れ動くわけですから、人間関係も当然、混乱します。
自分が誰かわからない―自己同一性の障害
自分自身に対するイメージ(自己像)もまた、不安定です。同一性とは「アイデンティティ」という言葉の訳です。「自己同一性」とも言われます。
自己同一性の障害とは、ひとことで言えば「自分がどんな人間かわからない」ということです。
「私はこういう価値観や能力、性格特徴や個人史をもった人間だ」といったそれなりに一貫した自己イメージをもてていないと、いつも何かが欠けているといった空虚感や不全感を抱えて生きていくことになってしまいます。
自分がわからないと、自分と他人の境界や距離も把握できなくなります。そのために、他人からすぐに影響されたり、自分と他人を重ねすぎてしまうのです。
自分を傷つけずにはいられない
リストカットやアームカットなどの自傷行為や、アルコールや薬物の乱用、自分を大切にしない性行為、過食や拒食といった自分を傷つける行動を、衝動的にしてしまうという症状です。しばしば「死にたい」と口にしたり、実際にそのような行為をしてしまいがちです。
そうした自殺関連行動が、他の人をふりまわしてしまうことがしばしば見られます(参考:リストカットの心理と、やめたいときの対処法)。
気分の浮き沈みが激しい
ものごとが期待していたように進まなかったとか、あるいは他者のちょっとした言動で「死にたい」というほどひどく落ち込んだり、あるいはイライラしたり激怒したり、といった情緒の不安定さがあります。
うつ病や双極性障害と違うのは、そうした気分変調が数時間~1日ほどで大きく変化することが多いということです。
「さっきまで激怒して人を責めていたのに、今はにこにこしたり、べたべた甘えている」
といったようなことから「わがまま」と見られることもありますが、最近の研究によると境界性パーソナリティ障害の人の脳は、情動調律という情緒を司る部位の機能不全が認められるのだそうです。
「私には大事なものが欠けている」と感じて生きているのが虚しい
境界性パーソナリティの人たちは、「自分は空っぽだ」「何かが欠けている」「欠陥人間だと思う」といったことをしばしば言葉にします。
精神分析家のバリントは「規定欠損(basic fault)」ということばで、基本的信頼感の欠如を言い表しました。人間が生きていくうえで、もっともベースにあるはずの「信頼感」や「安心」が欠けているということは、パーソナリティの土台がしっかりしていないということなのです。
「虚しさ」や「空虚感」は、この基本的な信頼感の乏しさと関連していると考えられます。
怒りのコントロールができない
情緒の不安定性とも関連していますが、「見捨てられた」「理解されない」「傷つけられた」と感じると怒りや攻撃をコントロールできなくなるといった症状も見られます。
激しい怒りや攻撃的な言動は、自分も他者もひどく傷つけてしまいます。家族関係や夫婦、恋人の関係を損なう原因にもなります。
ストレスによる妄想的な考え、あるいは解離性症状
パーソナリティ障害とは、もともとは「精神病と神経症の中間くらいの病態を指す」と上にも書きました。ごく簡単に説明すると、「精神病」とは「自分を見つめる能力」(観察自我などと呼ばれます)が大きく損なわれた状態です。「誰かに盗聴されている」「テレビで自分の悪口を言っている」といったことを確信しているときは、自分を客観的に見つめることができていません。
「神経症」とは、逆に多くの状況で、「こんなことを言うとおかしいかな」といったように自分自身を冷静に見つめることができるような病態と言えます(逆に自分を見すぎてしんどい、というのが神経症の人の特徴でもあります)。
境界性パーソナリティ障害をはじめとした人格障害は、「境界例水準」の病態と考えられています。
普段は問題なく過ごせていても、情緒的な負荷やストレスがかかると(あるいは情緒的に近しい関係だと)、妄想的な考えが出てくることがあります。
また、「解離性症状」といって、感情や記憶の欠損や離人感(回りにベールがかかったような現実感の乏しさ)、白昼夢などが見られることも多いのです。解離性症状のために言動が一貫せずに、「嘘をついている」「虚言壁がある」と言われてしまうこともあります。解離性症状が中心となると、「解離性障害」や「解離性同一性障害(多重人格)」と診断されることもあります。
境界性パーソナリティ障害のチェックリスト(境界性スケール17項目短縮版)
境界性パーソナリティの傾向があるかどうかを見るための、簡単なチェックリストを紹介します。ただし、あくまで参考のためのものですので、このリストをもって「診断」できるわけではありません。診断については、精神科医などの専門医による診察が必要となります。
「ミロン臨床多軸目録境界性スケール17項目短縮版」
以下の文章を読んで、自分に当てはまると思われるものには○、当てはまらないと思われるものには×を( )の中に記入してください。どちらか決めかねる場合は×を記入してください。
( ) この2,3週間、私はちょっとうまくいかないだけで泣いてしまう。
( ) 私は自分のしたことが罰に値すると思うことがよくある。
( ) 私はその日に起こったことを考えていると、非常に緊張する。
( ) 私には深く愛してほしいと思っている人から愛されなくなるのではないかという強い恐怖がいつも存在している。
( ) 最近私は物をたたきこわしたいと感じるようになってきている。
( ) 私は最近自殺したいと深刻に考えている。
( ) 私は不眠で、夜の疲れが全くとれないまま目が覚めてしまうようだ。
( ) 私は大きな問題につながるようなばかげたことを衝動的にたくさんやってきた。
( ) 私は侮辱されたことを許すことは決してないし、他の人に困らされたことを忘れることも絶対ない。
( ) 私はずっと昔から、自殺しようと何度も真剣に考えた。
( ) 10代のころ私は一度以上家出をしたことがある。
( ) 私は利用できる人を利用する人が悪いとは思わない。
( ) この2、3年、私はとても強く罪悪感を感じるようになり、自分自身に対してもひどいことをしたのではないかと思うほどになっている。
( ) 私は人から親切にされると、混乱して気が動転してしまうことがある。
( ) 率直にいって、困った問題から逃げ出すために嘘をつくことが非常に多い。
( ) 私の両親の意見はいつも食い違っていた。
( ) 最初は非常に崇拝していた人に対して、後で本当に失望することが多い。
合計得点(○のついた項目の数):
10項目以上○がつくと、境界性パーソナリティの傾向が強いと見なされます。
原因、有病率、併発しやすい精神疾患
原因はいまだはっきりとは分かっていませんが、もともともっている素因(脳の機能的な要因やホルモンなどの生理的要因)と、生育史などの環境因が相互に影響し合っていると考えられています。
親がうつ病や統合失調症などの精神疾患を患っていて、適切に養育される環境になかったとか、虐待などのトラウマ体験が重なっているといったことが、後の境界性パーソナリティ障害の発症に影響することがあります(同じような環境でも、発症しない人も多いため、そこにはやはり素因も関係しているでしょう)。
有病率についてはいくつかのデータがありますが、一般人口の2%、精神科患者の11%がこの疾患をもっていると言われています。
また、うつ病などの気分障害、PTSD、不安障害、摂食障害、アルコールや薬物・ギャンブルなどへの依存症なども併発しやすいのも特徴です。
境界性パーソナリティ障害のカウンセリング・心理療法
境界性パーソナリティ障害の治療には、大きく分けると薬物療法と精神療法があります。
精神科の病院を受診すると、抗精神病薬(怒りや衝動性が大きいとき)や抗うつ薬(抑うつが強いとき)、あるいは抗不安薬などが用いられることが多いでしょう。
精神科のお医者さんによって、支持的精神療法や家族療法などのカウンセリングが行われることもあれば、臨床心理士に依頼してもう少し時間をとったカウンセリングが進められることもあります。
「境界例」という概念は、もともとは精神分析療法のなかから出てきたものでした。
神経症と考えられた人に精神分析療法を行ったら、よくなるどころか大きく退行(幼児がえり)して情緒不安定になる、といったケースがたくさん見られたのです。
精神分析療法、あるいは精神分析的な心理療法は、「心のフタを開けて内面を見つめる」というアプローチを取ることが中心なのですが、とても混沌とした内面世界をもっている境界性パーソナリティの人にとって、こうした作業がかなりの負担になります。
お鍋のフタを開けて中から飛び出してくるいろいろなもの(それは過去のトラウマだったり、未処理の怒りだったりします)を、収めておく器が十分機能していないので、鍋をひっくりかえしたような混乱がもたらされることもあります(参考:心理療法とお鍋の話)。
「先生が私のことを嫌っているんじゃないかと心配なんです」
と言われたときに、ただそれを聴いていたり、あるいは「私に嫌われているんじゃないかと心配なんですね」といったように返すと、境界性パーソナリティの人はますます不安になります。
こうしたときには、カウンセラーは自分の考えや感じ方をはっきり提示した方が、彼ら/彼女らは安心します。
また、「時間を延長して欲しい」「いつでも電話で相談にのって欲しい」といった要求に対しても、できることとできないことをはっきりさせないと、「この人ならどんなときでも私を助けてくれる」といった非現実的な期待をふくらませてしまうことにつながります。そして、期待と同時に不安もまた際限なくふくらむのです。
「やっぱりこの先生も私を助けてくれない、わかってくれない」と感じることがあると、理想化されていたカウンセラー像は、一転して「私を傷つけるひどい人」に変化してしまいます。
境界性パーソナリティの人たちの人間関係は、「よい」と「わるい」の両極端を行ったりきたりします。ついさっきまでは「理想の人」と感じていたのに、急に「迫害する酷い人」に転ずるのです。
カウンセリングの関係自体が安定しないので、境界性パーソナリティをもつ人たちとカウンセリングを行っていくことは、お互いにとってとても大変な作業になります。
カウンセラーは、自分自身と治療関係を守るために、境界をなんども引きなおさなくてはならないかもしれません。クライエントも、理想化と脱価値化の間を揺れ動きながら、情緒の嵐に耐え抜くことが求められます。
お互いにとってパーソナリティの全体を問われるようなとても困難な仕事ですが、苦しい中にもときおり宝物のような気づきや学びが得られることもあるのです。