すごもりのむしとをひらく、春のメンタルヘルス不調について

毎年、春先になると努めている病院の患者さんたちから、「どうもこの季節は身体がしんどくて、気分も不安定になる」といったことを聞くことがよくあります。

「木(こ)の芽どき」という言葉があるように、春になると気候が暖かくなり木々が新しい芽を出し始めます。寒暖差が大きく、日照時間も増えるため、自律神経の変調から体調を崩しやすい時期です。昔から木の芽どきの時期は、病気に注意するように言い伝えられてきました。

 春は、卒業や進学、就職、異動といった変化が起きやすい時期でもあります。

 「卒業や進学って、めでたいことだからいいじゃないか」
と思われる方もいるかもしれませんが、ポジティブなことでもネガティブなことでも、「変化」はストレスになりやすいものです。
 それに、「周りはみんな望んだところに進学したけど、自分はそうじゃない…」といったように、取り残された感じや孤立感を抱く人もいます。

 今日は、この季節の特徴とその影響、どうやって乗り越えるか、といったことをちょっと書いてみますね。

蟄虫啓戸(すごもりのむしとをひらく)

「二十四節気」というのは、季節の変化を表す半月ごとの区切りで、古代中国で作られました。その一方で、「七十二候」というのは、気象や動植物の変化をさらに細かく、約五日おきに分けたものです。七十二候は何度も変更されてきましたが、江戸時代には日本の気候風土に合うように改定され、「本朝七十二候」というものが作られました。現在主に使われているのは、明治時代に改訂された「略本暦」のものです。ちなみに、「気候」という言葉は、「節気」と「候」からできています。

 二十四節気では三月前半は「啓蟄(けいちつ)」となります。
 七十二候ではそれがさらに三つに分けられるのですが、三月の頭は「蟄虫啓戸(すごもりのむしとをひらく)」とされています。これは、春先に冬眠から目覚める虫や動物たちが巣穴から出てくるとされる時期を表します。この時期には、地中や木々の中で冬を越していた虫や動物が活動を始め、春の訪れを感じることができます。また、この節気の名称「蟄虫啓戸」は、虫が冬期にすごもる巣穴の戸を開けるという意味があります。

(ちなみに「啓蟄」は「蟄虫啓戸」「桃始笑(ももはじめてさく)」「菜虫化蝶(なむしちょうとなる)」と続きます。虫が土から出てきて、桃の花が咲いて、芋虫が蝶になる時期を経て、次の二十四節季の「春分」に至るのですね)

 ここで言われている「虫」は、野山にいる(それとも家の中にいる?)あの虫さんたちのことですが、私たちのこころやからだの中にも実はいろんな「虫」がいるんです。

 ギョウチュウとか水虫とかではないですよ。

 日本語には昔から「虫」という言葉を使った言い回しや慣用句がたくさんあります。

 「腹の虫がおさまらない」とか「塞ぎの虫」といった表現です。
 平安時代くらいは、病気の原因は「鬼」のせいだとされていたので、祈祷師が祈祷することで病気を治そうとしていました。
 少し時代を下って医師が治療をするようになると、病気の原因は鬼ではなくて「虫」だという考えが主張されるようになりました。言ってみればまあ、医師が祈祷師から仕事を取るためのマーケティングみたいなものでしょうか。
 病気は「腹の虫」のせいだということになり、「針聞書(はりききがき)」という書物がまとめられました。これは、鍼治療の書物ですが、患部に隠れている63種の虫たちが描かれています。
 
 イラストがとても面白いので、ぜひ九州国立博物館のページを見てください。

かんしゃく
かんむし
かめしゃく

 たとえば「かんしゃく」という虫は、肝臓にいて、常に怒っているような顔の色をしているのだそうです。「ぎょうちゅう(あ、いましたねぎょうちゅう)」は、「庚申の夜に体より出て閻魔大王にその人の悪事を告げる虫」だとされています。他にも「はいむし」とか「じんしゃく」「かくらんのむし」「こしぬけのむし」などなどが描かれています。

国立情報学研究所の文化遺産オンラインでも一部、見ることができます)

 啓蟄の時期になると、こうした「虫」たちが戸を開いて、蠢き始めるのだ、とイメージしてみてください。
 「蠢く」という漢字がまさに、春に虫たちが動き出すさまを形象しています。

 「針聞書」を見ると、日本でポケモンが生まれて流行ったのも分かるような気がしますね。

*臨床心理関係者の方は、河合隼雄先生の『コンプレックス』(岩波書店)という本で、「虫が好かない」とか「虫の知らせ」といった言葉を、無意識のコンプレックスとの関連で論じられていたことを思い出すかもしれません。

春のメンタルヘルス不調

 「季節性うつ病」という言葉を聞いたことがある方もおられるかもしれません。特定の季節(通常は秋冬)に、うつ病のような症状を呈する状態です。

 一方で、春のメンタルヘルスの不調は、春先に心身に不調を感じる状態を指します。

 季節は、私たちの身体や心にどんな影響を与えているのでしょうか?
 ここでは、鍼灸師をしている友人からの受け売りで、中医学の考え方を少し参考にしてみたいと思います。
 中医学は、五行思想に基づいており、先ほど挙げた二十四節気とも深くつながっています。五行説は、木、火、土、金、水という5つの要素によって自然現象や人間の身体や心理を説明する考え方で、陰陽や気、血液、臓器などと関連しています。

 中医学では、秋から冬にかけては、気温が下がり、風が強くなるに従い、身体が閉じる傾向にあると考えるそうです。この期間には、特に肺や大腸などの臓器が重要視されます。

 一方、春になると自然界の生命力が外向きに向かっていき、陽気が強まっていきます。この時期、身体の気や血液の流れも外側に向かっていくようになり、身体の表面から外部へと向かっていくようになります。そのため、身体は開く傾向にあります。
 春には肝気(かんき)の不調が起こりやすいとされています。肝気とは、肝臓に関する気のことで、肝臓はストレスや感情の管理に関わる臓器とされています。春は、気分が高揚したりイライラしやすく、ストレスもたまりやすい季節であるため、肝気の不調が生じることがあります。

 春先の心身の不調には、次のようなものがあります。

・疲れやすさ
 寒暖差や湿度の差など、環境的な変化がストレスとなって、自律神経が乱れて疲れやすくなったり、だるさを感じることがあります。

・睡眠の乱れ
 日照時間が長くなるため、眠りにくくなる人がいます。逆に、だるさや疲労感から、過眠傾向になる人もいます。「春眠暁を覚えず」って言いますよね。

・社会的なストレス
 国にもよりますが、日本では春に卒業や入学、進学、就職といった社会的な変化があることが多いので、それがストレスとなることがあります。
 なんとなくそわそわして「何かしなくちゃ」「置いていかれないようにしなくては」といった焦りを感じやすい季節でもあります。焦りから無理に目標や予定を立てたりすることがストレスになることもあります。

 では、春先に大きく調子を崩さずになんとか乗り切るにはどうしたらいいでしょうか?
 基本的には、おのずと変化が生じたり、刺激が増えてくる時期なので、それ以上無理をして新しい変化を付け加えない、ということになるでしょうか。

 睡眠環境を整えて、よく寝ることや、ある程度規則正しい生活をすることも大切です。春先で活動的になっていろいろやりたいことがあるからといって、夜中までがんばったり、無理を重ねると、後から疲れてしまいがちです。

 活動的にならない時間、リラックスする時間などを意識的に取ることも、ストレスの軽減に有効です。

 そうそう、春先に自分の中で蠢き始めた「虫」が、どんな感じで、何を求めているのかということを、よく味わったり、観察してみるっていうことも大切なんじゃないかと思います。観察を続けていたら、「毎年この時期は虫がこんなふうに暴れて調子を崩すぞ」といったことが分かってきて、自分に適した対処を取りやすくなります。

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