1995年、神戸

19年目の神戸

一昨日で阪神・淡路大震災から19年を迎えました。

17日の午前中に大学一年生向けの心理学の講義をしてきたのですが、手を挙げてもらうと震災のときにはまだ生まれていなかったという学生さんもけっこういました。
学内の慰霊碑には花が供えられていました。研究室でときどき飲んだ先輩の名前も刻まれているので、やあとひと声をかけて帰ります。

ついこのあいだのことのようにも感じてしまうのですが、あれから人が生まれて成人するくらいの時間が経ったんですね。

「心のケア」

災害後の「心のケア」という言葉が、トラウマやPTSDといった概念とともに広がったのがあの時代でした。「ボランティア」に注目が集まった年でもあります。三月には地下鉄サリン事件が起こり、避難所の人たちは「これで自分たちのことは忘れられてしまう」と小声で話していました。「アダルトチルドレン」という言葉が流行ったり、アニメの『エヴァンゲリオン』が放映されたのも1995年でした。

あの頃、神戸市内の避難所や小学校をいくつも訪ねました。臨床心理士会の先生たちの後をついて回った、というのが正確です。

兵庫から須磨あたりまでのJRが不通で、代替バスに乗るか徒歩しかありませんでした。街灯もなく真っ暗な道、というより瓦礫の間を歩いていたら、倒壊した家屋の下から何故か電話の音が鳴り響いてびっくりして走り出したことを覚えています。

もう少し後だったと思いますが、三宮の崩れた駅ビルに巨大なクレーン車がまるで大昔の恐竜のように首を伸ばしていて、その頭上に大きな満月がかかっていた光景もはっきりと思い出すことができます。

6月頃に「こころのケアセンター」が発足して、長田区で活動することになりました。採用面接のときのセンター長の中井先生の質問は、記憶では「好きな花は?」「旅行するとしたらどんな旅にしたい?」「苦手な人はどんなタイプ?」だったと思います(どう答えていいか困ったのでよく覚えています)。
行政とボランティアのすきまを埋めるようなことを心がけて、自転車に乗ってあちこちを走りました。
カウンセリングや相談業務というよりは「ご用聞き」のようなもので、仮設住宅の集会でチヂミを焼くのを手伝ったり、コンサートスタッフをしたこともあります(THE BOOMの被災地支援ライブが長田で開かれたんです)。

トラウマ後の成長

長田区はひどい火災も起きて被害が大きかった地域です。
それでも多くの人たちはできることを少しずつやり、支え合っていました。長田の街は、韓国人や中国人、ベトナム人、沖縄や奄美から来た人、いろんな国の人が住んでいます。街のあちこちにたくさんの喫茶店があって、いつも賑わっていました(もめごともたくさんあった)。
そんな街で仕事をして、人間の心はトラウマから回復してつながりを取り戻す力があるし、成長する可能性だってもっているんだ、といったことを学ばせていただいたように思います。

『トラウマ後 成長と回復』(筑摩書房、二〇一三年)という本を書いたスティーヴン・ジョゼフは、トラウマ体験後の成長には三つの実存的なテーマがあると述べています。

第一は、人生は不確かなものであり、すべては変化するということ(不確かさに耐えるということ)。
第二は、「マインドフルネス」、今、この瞬間に注意を集中すること。
第三は、自らが人生の担い手であると認めること。

どれも簡単ではないですが大切なことだと思うので、書き写してみました。(久)

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