『実践・“受容的な”ゲシュタルト・セラピー カウンセリングを学ぶ人のために』

岡田法悦『実践・“受容的な”ゲシュタルト・セラピー カウンセリングを学ぶ人のために』ナカニシヤ出版、2004年

 ゲシュタルト・セラピー(療法)は、1950年代に精神科医のフリッツ・パールズや妻のローラ・パールズ、ポール・グッドマンらによって発展してきた心理療法です。

 パールズはもともと精神分析家でもありました。古典的な精神分析が、幼少期の主に両親との関係を扱うことに対して、パールズは、「今ここ」でその人が何を体験しているか、いかに体験しているかといったことを重視しました。

 「ゲシュタルト」(Gestalt)とは、ドイツ語で「かたち」「形象」を意味する言葉ですが、これは英語にも日本語にもうまく訳せないようで、そのまま「ゲシュタルト」と使われることが一般的です。

 ローラ・パールズは大学でゲシュタルト心理学者として知られるヴェルトハイマーに教わりました。ローラを経由して、パールズはゲシュタルト心理学に触れ、その考え方が心理療法に組み入れられていったのです。

 ゲシュタルト心理学の「場の理論」(クルト・レヴィンの研究です)や「図と地」「接触境界」といった概念とともにサイコドラマの技法などを採用して、「今ここ」で活き活きと体験プロセスが展開する、ダイナミックなアプローチが生まれたのです。

 この本は、ゲシュタルト療法の「ワーク」(セラピーのセッションのことをゲシュタルト療法ではこう呼びます)が、実際にどのように始まり、進展していくのかということを、ファシリテーター(同じく、カウンセラー、セラピストのことをこのように呼んでいます)の関わり方を具体的に挙げつつ解説してくれています。

 また、ゲシュタルト療法と来談者中心療法のちがいや、エンプティ・チェア(空の椅子)技法をどのように用いるか、といったことも教えてくれます。

 なんで今、この本を取り上げているかというと、知り合いから「貸してほしい」と言われたのでかばんに入れてもってきたついでに、ぱらぱらと読み返しているからです(笑)。

 ひさしぶりにめくってみて、面白いと感じたところは、「一人称で表現するように提案する」というところでした。

 私たちの心には、いくつもの葛藤があります。

 「今日のお昼ご飯はラーメンにするかカレーにするか」といった些末なことから、「結婚すべきか、そうでないか」といった人生の重大事?にまつわる葛藤もあるかもしれません。

 悩んでいるとき、迷っているとき、葛藤しているときには、あたかも自分の中に二人の人がいて、戦ったり、綱引きをしているようなものです。
 だから悩むと疲れてしまうんですね。

 こういうとき、「結婚すべきかどうか」を例に挙げてみると、「結婚するのが女の幸せというものよ」という声と「やりがいのある仕事で自己実現することこそ幸せだ」という声があって、一人の人の中で葛藤するわけです。

 ゲシュタルト療法では、「結婚」とか「仕事」を主語にするのではなく、一人称の「私」を主語にするように提案します。
 なぜなら、「結婚」や「仕事」という三人称が主語になると、評論家的な態度や一般論、あるいは「どちらが正しいか」といった戦いになりがちだからです。

 そこで「私は」を主語にして言い換えてもらうわけです。

 「私は、結婚して、幸せになりたい」
 「私は、やりがいのある仕事をして、自己実現したい」
 このように表現すると、自分のなかで対話が始まります。

 「私は」と一人称で表現することには、「責任」がともないます。

 「結婚か仕事か、という決断の責任を引き受けるのは、荷が重いなあ」と感じていると、間接的に三人称を使って言いたくなる。

 「私は~したい」と言葉で表現することで、本当に自分はそれをしたいのか、迷いがあるのか、だとすればその迷いは何を言っているのか、といったことに気づいていくわけです。

 また、「自己実現」といったような抽象的な一般論ではなく、具体的なイメージをもって、自分が何を感じているかを確かめていくことができます。

 ゲシュタルト療法では、心のなかの葛藤を、エンプティ・チェアの手法を使って具体的に「結婚して幸せになりたい私」と「やりがいのある仕事をしたい私」として対話を進めていきます。

 それぞれのパートが、したいことや感じていることを十分に体験することで、葛藤が統合されていくのです。

 お昼休みに、こんなことを書いたところで時間が来たので、今日はこれでおしまいです。

関西(大阪、神戸など)でゲシュタルト療法に興味のある方は、次のリンク先をご覧ください。

ゲシュタルトネットワーク関西

ゆるゲシュ:ゲシュタルトセラピー

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