ゾウをこなしているウワバミ 

ゾウをこなしているウワバミ

 

ゾウをこなしているウワバミ

この絵を見て「ああ懐かしい」という人は多いのではないでしょうか?

「あれ、どこかで見たことあるぞ」という方もおられるかもしれません。

これは、『星の王子さま』の「ゾウをこなしているウワバミ」の絵です。

原始林のことを書いた「ほんとうの話」という本が出典ということになっています。

ウワバミというものは、そのえじきをかまずに、まるごと、ペロリとのみこむ。すると、もう動けなくなって、半年のあいだ、ねむっているが、そのあいだに、のみこんだけものが、腹のなかでこなれるのである

「ぼく」はゾウを飲み込んだウワバミの絵を描いておとなの人たちに見せて「これ、こわくない?」と聞いてまわりますが、「ぼうしがなんでこわいものか」ととりあってもらえません。

これならわかってくれるだろうと次にウワバミのなかみを描いて見せると、おとなの人たちは「ウワバミの絵なんかはやめにして、地理と歴史と算数と文法に精をだしなさい」と答えます。

こんなこと、私たちも自分の子どもや若い人についつい言ってしまいそうですよね。

「カウンセリングの勉強なんて馬鹿げたことはやめて、ちゃんと就職しなさい」とか。

「ぼく」こう言われては絵かきになるのをあきらめて、ウワバミの話も原始林の話も星の話もやめてしまい、あたりさわりのない「ゴルフや、政治や、ネクタイの話」をするようになりました。

私たちも、こんなふうにいろんなことをあきらめて「おとなの人たち」の一員になってきたのかもしれません。生きていくためには「成長や社会適応って、そういうものだ」とわりきることも必要でしょう。

けれども、「役に立つこと」や「社会適応」ばかり優先していると、「ほんとうの話」が置いてけぼりになってしまいます。

カウンセリングと「ほんとうの話」

カウンセリングにやってくる方のなかにも、その人自身の「ほんとうの話」に自ら耳を傾けるために来談されたのだな、と思われる人がいます。

「親の期待に応えるためにこういう人生を歩んできたけれども、ほんとうは自分はこうしたかったんだ」

「あのとき言葉を飲み込んだけど、ほんとうはこう言いたかった」

「笑ってやりすごしたけど、実は私は悲しかったんだ」

言えなかった言葉や表現できなかった(受け入れられなかった)感情体験は、心や身体のどこかに、未完了のままに残って、私たちの人生に影響を与えます。似たような状況や関係のなかで、私たちを苦しめたり、うまくふるまうことを妨げるのです。でもそれは、たんにとりのぞいてしまえばいい邪魔者なのではなく、どれも私たちの人生における「ほんとうの話」なのかもしれません。

ユング心理学的にいえば、表向きの適応はいわば「仮面」です。内面の「ほんとうの話」は、その人の「魂」にかかわることだと考えることもできるでしょう。

クライエントさん(カウンセリングに来られる方をこう呼びます)がカウンセラーとともにする仕事のひとつに、こうした「ほんとうの話」をひとつずつ手に取って、その声をきちんと聴く、ということがあります。

これまで言葉や行動にされなかった感情体験に適切な声を与えて表現することができると、それは私たちを苦しめたり邪魔したりする何かではなくて、もうひとつのほんとうの話として私たちの人生を豊かにしてくれるものに変化するのです。

飛行機乗りになった「ぼく」は、サハラ砂漠で遭難し、そこで「星の王さま」と出会います。飛行機を修理しながら「ぼく」が王子さまから聞く物語は、それ自体が「ぼく」と王子さまの「ほんとうの話」です。

そして「ほんとうの話」を通じて、「ぼく」と王子さまには(表向きの適応ではなく)どこか本質的な変化が生じているようです。

 

『星の王子さま』内藤濯訳、岩波書店2000年

 

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