不安と自意識過剰ー自己へのとらわれから抜け出す方法

不安と注意

心理学では、不安は「注意」という心のはたらきによって引き起こされると考えられています。「あの木陰に虎がいるかも」と注意を払うことは、当然、不安を呼び起こしますよね。

いろんな「注意」がありますが、「自分に注意を向けすぎること」(自己への注目)は、とくに不安を生みやすいのです。

タイトルには分かりやすく「自意識過剰」とつけてみました。

自意識過剰とは、「自分自身について過剰に意識していて、自身の外見や行動などが他人からどう思われているかが気になりすぎる」状態です。

自意識過剰も自己への注目の一種といえますが、人からどう見られているかというだけでなく、「自分がこんな人間だったらいいなあ」などと空想することも自己への注目です。

自意識、あるいは自分に注意を向けすぎることが、どのように不安を生み出しているのでしょう?

また、そうしたとき、どうすれば不安をふくらませずにいられるのでしょうか?

自己概念と自己経験

さて、自分に注意を向けすぎることがどうして不安を生むのでしょうか?

子どものころは「もし僕がウルトラマンだったら怪獣をやっつけてやるのに」「私が魔法をつかえたら」なんて楽しく想像していたはずです。小学生低学年くらいならかわいいものです。

でも、成長するにしたがって、そんな無邪気な想像はもちにくくなっていきますよね。

ネットスラングに「中二病」という言葉があります。「思春期にありがちな自己愛に満ちた空想や嗜好などを揶揄する言葉」と定義されているみたいですが、思春期くらいになると「無邪気でかわらしいね」とはあまり思われなくなるようです。

というのも、だんだん「こうであればと思い描いている理想の自分と、現実の自分はずいぶん違うぞ」ということを意識しはじめるのが思春期前後だからです。

進路指導の席で「将来はサッカー選手になりたい」と言えるのは、よほど練習をして自信と決意のある子か、あるいはあまり自分が見えていないといえるかもしれません。

空想や思考のなかの理想の自分と現実の自分のギャップを、心理学では「自己概念と自己経験の不一致」と言います。

この不一致に注意が向きすぎると、「不安」が強まります。

思春期・青年期の人が不安を体験しやすいのは、自己概念と自己経験の不一致が起こりやすい年齢ということも影響しているでしょう。

自己へのとらわれ

「自分に注意を向けすぎること」が続く状態を「自己没入」と呼びます。

もう朝から晩まで、自分のことばかりが気になって、くよくよしたり嘆いているような状態です。

こうなるとメンタルヘルスの面でもいろいろな差し障りが表れてくることもあるでしょう。

たとえば不安障害やうつ病なども、この自己没入との関連が大きいのです。不安が高い人や抑うつ的な人は、自分についてネガティブな考えを「反すう」しがちです。反すうとは、牛が口(と4つの胃袋)のなかで長い時間をかけて草をむしゃむしゃやる、あの行為です。それと同じことを、頭でやるのが「思考の反すう」です。

「やっぱり自分はダメだ」

「人生悪い方向に行くに違いない」

「どうせ失敗する」

「なんで私はこんなにうまくいかないんだろう」

「どうしてあんなことをやっちゃったんだ」

「きっと私の性格や生き方に問題があるに違いない」

などなど。

抑うつ的な思考の反すうとは、自分の抑うつについて、またその原因や結果についてあれこれ考え続けることを意味しています。

こんな風に考えていたら当然、気分は沈んできますし、自信もなくなって「やっぱり家で寝ておこう」と回避的な行動が強まります。動機や冷や汗、手の震えといった身体的・生理的な反応に過剰に注意が向いて、「こんなに震えていたらとても人に会ったりはできない」と思って、なおさらひきこもることもあるでしょう。すると「一日何もできなかった自分はやっぱり駄目な人間だ」とまた否定的で悲観的な自己への注目が繰り返されます。また、不安で眠れなくなって、夜中に自己否定的な考えにとらわれてしまうかもしれません。

認知療法などでよく言われる「思考(認知)」「行動」「感情」のネガティブなスパイラルですね。

「自分のことをふりかえる」「自分について熟考する」あるいは「内省する」といった心のはたらきは、本来、進化の過程でヒトに備わった高度な認知機能です(「自分の殻のかたちは変じゃないか」と悩むカタツムリはいません)。

ヒトは社会的な生き物ですから、自分を省みてモニタリングするという心のはたらきは、適応的な意味をもっているのです。

ところがそれが過剰にはたらくと、過剰な免疫系の過剰反応と同じように、自分を傷つけてしまうのです。

自己没入尺度

自己に対する注意の向きやすさやそれにどれくらいとらわれるかということを測定する「自己没入尺度」(坂本、1997)という心理尺度を紹介します。

以下の文章を読んで、自分の性質に当てはまる程度を考えてみてください。そして、それぞれ次の5段階で評定してみてください。

  1. 全く当てはまらない
  2. どちらかというと当てはまらない
  3. どちらともいえない
  4. どちらかというと当てはまる
  5. かなり当てはまる

質問項目は次の11項目です。

評定の数字の合計があなたの得点となります。ちなみに、大学生の平均点は34.1点(標準偏差8.3点)で、43点以上の人は自己没入的な傾向が強いということになるそうです。(『自分のこころからよむ臨床心理学入門』丹野義彦・坂本真士、東京大学出版会、2001年)

いかがでしょう? 「自分がどんな人間なのか」を考えるのは、特に思春期・青年期の人たちにとってはアイデンティティを確立するための大切な問いですし、成人してからもときにはこんなことを考える時間も必要でしょう。それに、「自分について深く考えたい」と希望してカウンセリングに来られる方もいるわけです。

ところがそうした思考が自分の経験や身体的な実感とあまりにかけ離れてしまうと、「抑うつ的な思考の反すう」につながってしまうのです。

不安から抜け出すために

では、こうした自己への没入や不安から抜け出すためにはどう対処すればいいのでしょうか?

心理学や心理療法の研究で確かめられていることを参照すると、大きくわけて次のような対処法があると思われます。

気晴らしや注意の切り替え

自分自身に注意を向けすぎることが問題であるなら、自分以外に注意を向けなおすという方法がまず考えられますね。

散歩に行くとか、手芸や園芸をするとか、人と話す、あるいはスポーツをするなど、なんでもいいのですが、とにかく「自分に注意を向ける以外」のことをしてみるのです。

不安から逃げるために何かするというよりは、そのこと自体が楽しくて有意義だと感じられるような活動がいちばんいいでしょう。

あるいは、回りの音や音楽などに注意を向ける練習をすることもあります。「思考」と「五感で感じられる今ここの現実」をわけて、できるだけ後者に意識や気づきを向けます。

たとえば「注意訓練(Attention Training)」というプログラムは、注意の柔軟性を身につけて自己注目的な認知を変えることを目的に行われているそうです(特定の音に集中したり、複数の音に注意を切り替えたり、同時に集中するようなトレーニングです)。

認知の修正

抑うつや不安に対する認知行動療法では、「どうせ私は失敗する」「もう人生終わりだ」といった自己否定的で悲観的な認知や思考を、より適応的な方向に修正することが試みられます。

必ずしも認知行動療法のようにノートやコラムに書くなどの手法を使わなくてもいいのです。他の人やカウンセラーに話をして自分の考え方や見方を少し離れて眺めることができるようになると、「ちょっと極端なことを考えていたな」と気づくことも多いでしょう。

カウンセラーが、あえて「私だったら、同じような状況でこう考えるかも」と投げかけて見ることもあります。

自分の考え方、捉え方の癖に「いじけ虫」とか「悲観君」なんてニックネームをつけておくと、「いつものネガティブ思考にはまってるぞ」と気がつきやすくなります。

森田療法と「あるがまま」の不安の受容

森田療法という日本の心理療法では、不安は否定せず、「あるがまま」を受容するようにと促します。そして、自分の人生にとって意味や価値があることをするようにと説かれます。

「不安だから何もできない、何もしない」と回避するのではなく、

「不安はあるがままにしておいて、今やることをする」

というアプローチは、「思考」から「五感を通した今ここの現実」へと注意を切り替える方法にもなるでしょう。森田療法は1920年代に生まれた方法ですが、現代のACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)などの心理療法でも、不安の受容(acceptance)が強調されています。

仏教の瞑想法に由来する「マインドフルネス」もこの頃、あちこちに広がっていますが(Google社で導入されたことでも知られています)、これも「自己」や「思考」にとらわれずに今ここのリアリティに触れるための方法なのでしょう。

不安障害のカウンセリングについては、「パニック障害・不安障害のカウンセリング」をご覧ください。

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