対話と物語による支援『精神病と統合失調症の新しい理解』

精神科の病院に非常勤心理士・カウンセラーとして勤めて20年を超えるくらいになったのですが、最初に働き出した頃と比べると精神医療もずいぶん変化してきたと感じます。病院では、統合失調症や双極性障害などの精神疾患、あるいは発達障害などをもつ人たちの心理テストやカウンセリングを担当しています。

鉄格子のある暗い精神病院から、病棟は新しくなり、精神障害をもった人たちがデイケアや作業所、グループホームなどの地域で生活するためのの社会資源も増えてきました。

制度や社会環境だけでなく、精神医学の考え方や見方も大きく変わってきたと言えます。精神科の治療対象となる代表的な疾患が、「精神分裂病」から「統合失調症」へと名称を変えたのは2002年のことでした。

20年くらい前に、ある精神科医の先生が「精神病というのは、働けなくなるという病気だ」と話していたのを記憶しています。

精神分裂病という名前には、

「この病気になったら一生、働けない」

「下手したらずっと病院にいなくてはいけない」

といった印象がついてまわっていました。安倍晴明が言ったように、「名」は「呪(しゅ)」でもあります。

「そう。山とか海とか樹とか草とか、そういう名も呪のひとつだ。呪とはようするに、ものを縛ることよ。ものの根本的な在様(ありよう)を縛るというのは名だぞ」

精神科の「病名(診断)」や、「治療」は、単に医学的な問題というだけでなく、その時代やその社会が、「正常と異常」にどう線を引き、「異」とされたものごとや人とどう関わるかが深く影響しています。「治療する」「支援する」あるいは「排除する」「見ないことにする」といった私たちの関わり方が「精神病」の輪郭を定めているのです。

「統合失調症」と名称が変わったことで、医療関係者や当事者、家族の意識も変化してきているのだと思います。

精神的な病気を患うことが、大変な苦労や苦しみをもたらすことには違いはありませんが、それでも回復を支え合う仲間や、社会とのつながりを探る人が多くなってきたと言えます。

こうふりかえってみると、「精神医療もいい方向に変わってきた」と考えられるでしょうか。でも、そうとばかりも言えないかもしれない。10年後の未来から見れば、今の精神医療のあり方だってずいぶん批判されるでしょう(今現在にもそうした批判はあります)。

時代を超えた鳥の目を持つのは難しいことではありますが、

「本当に、今していることがベターなのか?」

「他にも方法はあるのでは?」

ということは、いつも意識しておきたいと思います。

そういう「オルタナティヴな方向性」として、「オープンダイアログ」などの新しい試みについて聞く機会も増えてきました。

そんな流れで読んだのが次の本です。

英国心理学会・臨床心理学部門監修『精神病と統合失調症の新しい理解−地域ケアとリカバリーを支える心理学』北大路書房、2016年

イギリス心理学会の臨床心理学部門が作成した報告書で、原文はすべてインターネットからダウンロードして読むこともできます(Understanding Psychosis and Schizophrenia)。

精神医学と臨床心理学は、どちらも「心」の不調や治療・支援を扱っています。お互い協力しながら仕事をしているわけですが、職能団体としては対立するところもあるのですね。コメディカル・スタッフとして抱えておきたい精神医学と、自立性を主張したいサイコロジストという対立です。

アメリカではかつて、カール・ロジャーズが医師と対立しながら、「カウンセリング」の方法論や社会的な位置付けを開拓していきました。

現在、日本では「公認心理師」という国家資格ができて準備が進んでいますが、その過程でも医学会・医師会との政治的な駆け引きがあった(ある)でしょう。

『精神病と統合失調症の新しい理解』も、イギリス国内での同じような政治的力動が反映された本だと言えます。同時に、これまでの精神医療のあり方に強い異議申し立てをしている本でもあります。

「(存在しないはずの)声を聞く」

「妄想を抱く」

といった体験は、現代社会では統合失調症などの精神病と関連して理解されてきました。そのようなことで病院を受診した(あるいは連れてこられた)人は、「精神病」と診断されて投薬や入院治療を受けるのが一般的です。そこでは、統合失調症は脳の生物学的な失調によって起きる疾患だとみなされます。

ところが、本書が主張しているのは、精神病の「原因」や「支援」に関するこれまでとは異なった観点です。

「声を聞く」ことや「妄想を抱く」ことは、必ずしも「治療されるべき病気」の指標ではなく、幻聴や妄想をもっても問題なく生きている人たちはたくさんいることが研究でわかってきた、とこの本には書かれています。

精神病は単に脳の機能不全のみから生じるのではなく(もちろん、生物学的な側面や投薬治療をすべて否定しているわけではありません)、トラウマや社会的不平等などの複数の要因が複雑に絡み合って発症します。

これまでの精神医学(と製薬会社)が生物学に偏りがちだったので、「精神病」の心理的・社会的側面にももっと目を向けるべきだ、また「自分の体験の詳細を語り、自分に何が起こったのかを解釈する機会を、支援サービスが人々に提供すること」(話すことを基盤としたセラピーや支援)が大切だ、といったことが本書の提言です。

「自分の体験の詳細を語り、自分に何が起こったのかを解釈する」ということは、かささぎ心理相談室でも大切にしている「自分の物語を生きる」ということでもあります。

日本でも、家族支援や地域でのサポートなどの重要性が強調されつつありますし(これには入院数を減らして医療費を節減したいという国の意図も影響しているでしょうけれども)、「病院から地域へ」という流れはこれからも続くのではないでしょうか。そういう意味で、イギリス心理学会によるポジショントークといった以上の意味があるのではないかと思います。

 

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