ねこに未来はない

これまでの人生で、何匹くらいのねこと出会っただろうか。

なんてことを思う夜です。

これまでに飼ったことのあるねこの名前とか顔などを思い出しているのですが、こんなことあったなあってのは記憶にあるけれど、どのように別れたかということはあまり思い出せません。

ねこって、最後はふっとどこかに消えてしまうので、「最後の別れのとき」みたいな瞬間って、意外と覚えていないのですね。

こんなことを考えてるのは、なぜか手元に『ねこに未来はない』という長田弘さんのエッセイがあるからです。

ときたま、Amazonから記憶にない本が届いて、ぱらぱらとめくってみるとなかなか面白いじゃないかってことがあります。

何日か前に、あまり意識せずにAmazonでポチッとして、忘れたころに届いたのです。

こういうのは、「もう一人の自分」からのプレゼントみたいで、ちょっと楽しいですね。

『ねこに未来はない』というエッセイは、ねこ嫌いだった長田さんがねこ好きの女性と結婚して、何匹かのねこと出会い、そして別れるなかで、ねこなしの人生がものたりなくなってしまうというお話です。

ねこと赤ちゃんという生き物は、生産的なことは何ひとつしていない(ように見える)のに、存在感はとっても豊かです。

「私はここに居ていいのだろうか?」とか「俺に存在意義はあるのか」といったことは、微塵も考えている風ではなく、ただのびのびと遊んで食べてうんちして寝ています。

何も持たなくても、いつでも世界の真ん中の「今ここ」に生きています。

「ねえ、知ってた?」
ぼくの奥さんは、いつもよのうに右手の親指と人さし指をきれいな音でパチンと鳴らしてそういうと、知られざる真理を発見したもののみがおのずからそなえるきっぱりとした、しかしせきこんだ口調で、こうつけくわえました。
「ねこには未来がないのよ」
「え? ねこがどうしたって?」
「やっぱり知らなかったのね。わたしもさっき新聞の随筆欄で読んだばかりなんだけどーー脳科学のえらい先生がこんなことを書いていたのよ。ねこには未来というものがない、なぜなら、ねこには未来を知覚する能力がないから、って」
「ねこには未来がない?」
「つまり、わたしたちが未来を感じることができるのは、このおでこの裏っ側にある前頭葉という組織のはたらきによってなんですって。ところが、ねこにはもともとこの前頭葉という組織そのものがないんですって」

『ねこに未来はない』p.116

長田さんと奥さんは、こんな会話を交わします。

正確に言うと、ねこの脳のなかで前頭葉が占める割合は3.5%だそうです(人間は29%)。

だからまったく前頭葉がないというわけではないのですが、いずれにせよ人間と比べたらずいぶん小さいんですね。

なのでねこは、人間のように過去のことをくよくよと後悔したり、将来のことを心配するということはないのでしょう。

この事実と、ねこが「今ここ」をしっかりと生きていることは深くつながっているようです。

私たち人間は前頭葉が発達したおかげで「いつかどこか」の遠い過去や未来のことを想像することができるようになりました。

そのおかげでたくさんの人たちが協力して国をつくったり、ピラミッドやらスカイツリーを建てたり、宇宙にロケットを打ち上げたりすることが可能になりました。

でもその一方で、「ああしておけばよかった」と過去のことを悔やんだり、「もしかしたらこんな不幸が起こるのではないか」と不安になることも増えたのです。

「ぐるぐる思考」とか「反芻思考」と呼ばれる思考のモードが優勢になるとき、私たちは「今ここ」ではなく、「いつかどこか」あるいは「もしも」の世界にどっぷり浸かって抜け出せなくなっています。

こんなときは、ねこを見習ってみるのもひとつの方法です。ぽかぽかと日のさす暖かい場所を見つけて、身体をのびのびと伸ばして、目の前を飛ぶ蝶々とか、風に揺れる草花に好奇心を向けるといったことですね。

こういうことを「ねこる」と表現した女の子がいました。

少しずつ春めいてきて、散歩やピクニックにはいい季節です。

たまには自然の中で「ねこる」のもいいですね。

『ねこに未来はない』というエッセイ、最後は奥さんが「子どもが産まれるのよ」と長田さん夫婦にとっての未来が語られるところで終わるのが、またいい味わいでした。

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