自己成長とじゃがいもの芽(ロジャーズの実現傾向について)

じゃがいもをオイル蒸しにでもしようとごしごし洗っていたら、小さな芽がたくさん出ていることに気が付きました。ジャガイモの芽には毒があるそうなので(ソラニンやチャコニンという苦みや毒素のある成分が含まれているらしい)、包丁の先で取り除きます。

なぜジャガイモの芽には毒があるのだろうという疑問が浮かんだので、厚手の鍋に放り込んで火にかけてから、少し考えてみました。
芽というのは、ジャガイモのなかでは生命活動がもっとも活発な部分と言えます。
ジャガイモは地中に埋もれていますが、芽は地上に伸びて出てくるので、そのぶん虫や動物に食われる危険も大きくなるでしょう。
だからこそ芽には苦みや毒が含まれるようになったんでしょう。
とすると、毒のある部分はその生命体のなかでもっともがんばって伸びようとしているところだと言うことができます。

検索してみたところ、NHKの「子ども科学電話相談」にも

ジャガイモには毒がないのに、その芽には毒があるのはなぜ?

と、小学4年生のはるとくんが質問していました。

東京大学の附属植物園の塚谷園長の回答は、

例えば誰かにかじられてしまったら、せっかくイモがいくら大きくても、育つことができないわけですよね。なので、芽は大事に防御しなくちゃいけない。敵の攻撃からうまく守っていかなくちゃいけないわけです。そのために毒が芽のところにあって、いろんな動物が簡単に芽のところをかじったりしないように、というので毒が仕込んであるっていうのが、なぜかっていうことの理由ですね。

というものでした。

ジャガイモの芽だけでなくて「花」にもけっこうな毒があるのだそうです。

そこから少し連想が動いて、ヒトにも同じようなことが言えるんじゃないかと考えました。
「問題だ」とか「苦くて呑み込めない」と感じるところは、実はがんばって伸びようとしているところなのかもしれない。
いわゆる「問題行動」は、その人なりの対処方法の芽だ、ということもよく言われています。
その芽をなんでもかんでも摘んでしまうのはもったいない。
できることならのびのびと伸びて、日の光を浴びて、そのうちに「問題」ではなくて人生を豊かにしてくれる何かに変化していくのがいいのだと思います。

そういえば、人間性心理学を創始したカール・ロジャーズも、自己成長をじゃがいもの芽に喩えています。

ロジャーズは、子どもの頃、冬の食糧を貯蔵するための暗い地下室に置いてあったジャガイモから、窓からもれる薄日に向かって伸びる芽に強い印象を受けました。

光がほとんど届かない地下室で、なんとか伸びていこうとするジャガイモが、彼が会っていた多くのクライエントが、成長のためにもがいている姿と重なったようです。

州立病院にもどって来た人々と面接しながら、私はよくあのジャガイモの芽を思い出します。これらの人々は異常で、ゆがみ、人間らしくない人生を展開させてしまったひどい状況にいます。けれども、彼らの中にある基本的志向性は信頼することができます。彼らの行動を理解する手がかりは、彼らは彼らに可能な方法で成長と適応に向かってもがいているという事です。健康な人間には奇妙で無駄と思えるかもしれないけれど、その行為は生命が自己を実現しようといる必死の試みなのです。ロジャーズ『人間尊重の心理学』

ロジャーズは、人間(だけでなくあらゆる生命)には「実現傾向(actualizing tendency)」が備わっていると言います。

環境が好ましかろうと、そうでなかろうと、有機体の行動は自らを維持し強化し再生産する方向に向かっている。これが「いのち」のプロセスの本質だ、とロジャーズは考えます。

「ジャガイモの芽には毒があるのはなぜ?」という謎と合わせて考えると、人間が伸びよう、成長しようとするとき、その伸びていく芽にもまた、身を守るための「毒」が含まれているのかもしれません。

子どもが成長していくときだって、親や大人に対してものすごい「毒」を吐くことはよくありますよね。

カウンセリングでも、かつては吐けなかった「毒」を表現することが、「未完了の仕事」を完了させて、成長につながるということはしばしば見られます。

私たちは、「こんなひどいことを思ったらいけないんじゃないか」「悪いことを言って、他人を傷つけてしまうのでは」と、「毒」を呑み込みがちです。

そうすると自分の身に毒がたまってしまいます。

なので、たまには、「この毒は自分の伸び代なのかもしれない」と考えてみることもいいんじゃないでしょうか。

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