コンプレックスともやもや、あるいは葛藤を抱えておけるということ

コンプレックスとは

心理学に「コンプレックス」という概念があります。「私はコンプレックスが強くて」といったように、日常会話では「劣等感」という意味で用いられることが多いでしょう。「マザコン」「ファザコン」といった言葉も日常会話で用いられますし、心理学に詳しい人なら「エディプス・コンプレックス」「カイン・コンプレックス」「メサイア・コンプレックス」といった言葉を聞いたことがある人もいるかもしれません。

劣等感という意味でコンプレックスという概念を用いたのは、アルフレッド・アドラーです。アドラーは、人間の行動原理の一つに「人よりも優れていたい」という優越への要求があると考えました。

カール・ユングはコンプレックスをもう少し広い意味でとらえ、「感情に色付けされた心的複合体」と定義ししています。

私たちの心の中には、不安や怒り、あるいは願望といったさまざまな感情があります。そうした感情は、ある人物や出来事、場所などと関連づけられて記憶されています。感情や記憶が複雑に結びついたネットワークがあるのです。

たとえば、父親のことを思い浮かべると何か失敗して叱られた体験の記憶や、そのときの緊張や恥ずかしさ、怖さなどがくっついて想起されます。はっきりと想起されなくても、父親をイメージするとなんとなくもやもやして不安になる、ということもあるかもしれません。

ユングは、こうした複雑なイメージや記憶、感情の結びつきをコンプレックスと呼んだのです。人間の心は、単に「父親が怖い」といったような単純なものではありません。「でもお父さんにもっと認めてほしい」とか「父親のことを怖がってる自分が嫌」といった、また別の思いや気持ちも「父親」というイメージに結びついているかもしれないのです。

コンプレックス:クモの巣の写真

否定的な感情や記憶には触れたくない

不安や恥ずかしい体験、あるいは罪悪感や怒り、こうした否定的な感情や記憶は、できればあまり体験したくありませんよね。ネガティブな感情に触れるのはつらいことなので、私たちはしばしばこうした体験を回避しようとします。

知らず知らずのうちに抑え込んでしまったり、遠ざけてしまうのです。

深層心理学では、「抑圧」とか「解離」などと呼ばれる心の働きです。

嫌な感情体験を回避することによって、私たちの心は少し安心するでしょう。はっきりと嫌な感じはないけれど、なんとなく「もやもや」だけが残っているということもあります。

その「もやもや」だって、あまり気持ちのいいものではないから、遠ざけたり、目を向けないでいることが多いかもしれません。

安心するならそれだっていいじゃないか。

そう考える人もいるでしょう。誰だって、多かれ少なかれ、何かを抑え込んだり、遠ざけたりしているのも事実です。

でもそれがあまり強くなりすぎると、かえって不自由になることもあるのです。心の一部を抑え込むことによって、心の働きや経験が十分に活用できなくなるからです。

極端な場合には、抑圧や解離によって、さまざまな神経症症状に悩まされることだってあります。頭痛や息苦しさなどの身体的不調となって表れることもあります。いわば、不快な体験を回避する代償として、症状による苦しみを引き受けなくてはならなくなるのです。

カウンセリングと体験の促進

「カウンセリングって、話を聴いてもらうだけなんでしょう?」

「カウンセラーなんて、聴いてるだけじゃないか」

なんて言われることもあるように、カウンセラーは「よく話を聴く人」というイメージが一般的です。もちろん、実際には必要に応じて知識や情報を提供したり、さまざまな心理療法の技法を用いて介入することだってあるのです。ただ、「よく聴く」という態度が、カウンセリングの基本にあるのも確かでしょう。

では、カウンセラーは話をよく聴くことで、何をしようとしているのでしょうか?

話をちゃんと聴いてもらうと、話し手の心には何が起こるのでしょうか?

一言で述べるなら、それは「体験が促進される」ということです。

カウンセラーの聴き方の特徴として、ただ客観的な事実だけを聞くのではなく、「話し手の内的な体験に注意を向けながら聴く」ということが挙げられると思います。

「そのことを話しながら、今、何を感じていますか? どんな思いが浮かんでいますか?」

実際にこう尋ねるかどうかはさておき、こんなふうに今、ここでの話し手の体験過程に焦点づけて聴くことで、これまで回避していた否定的な感情をちゃんと体験することができるようになっていきます。

「お父さんのことを思うとなんかいつももやもやしていたけど、あのことがひっかかっていたんだ」「実はこんな感情があったんだ」と、これまで言葉にされなかった感情体験に気づくこともあります。

回避されていた体験に目を向けることができると、心の働きや経験を充分に活用することも可能になります。「コンプレックス」が、無意識のうちに今の人間関係や生活に影響を与えることが減ってくると、より自由に生きることができるようになると考えられます。

葛藤を抱えておけるということ

コンプレックスとは、心の中のもやもやだったり、さまざまな思いや感情が複雑にからみあったものです。もやもやが少し意識化されてくるということは、心のなかに相反するものがたくさんあるということに目を向けることにもつながります。

「葛藤」という言葉は、葛や藤がもつれあった様子を表しています。

辞書を引いてみると、

  1. 人と人が対立することや争い。もつれ。
  2. 心の中に相反する欲求が同時に起こって、どちらを選ぶか迷うこと。
  3. 禅の解きがたい公案。

といった意味があります。

心理学では、(2)の意味で、コンフリクト(conflict)という言葉の訳として用いられます。

「葛藤なんてないほうがいいにきまってる」

「悩みを解決したいから、相談するんです」

と思われるかもしれません。

でも残念ながら、人生には解決しないことも多いし、悟りでもしないことには人間関係や心のもつれはなくなることはありません。

また、上でも述べたように、葛藤を押さえ込んだり遠ざけたりすることで体験しないようにしすぎると、心が十分に機能しにくくなってしまいます(註)。

体験を回避するのではなく、むしろ、葛藤をちゃんと抱えておけることに意味があるのです。

「私にはこんな相反する想いや感情があるなあ」

と葛藤を抱えて見つめることができれば、心のなかのいくつもの声が対話をはじめます。

「お母さんにはずいぶん否定された。あんな母親は大嫌いだ」

「母親が嫌いと思うなんて、私は悪い子どもなんじゃないか」

「もっと優しくしてほしかった」

「本当はお母さんのことが好きなんだ」

たとえば、こんな内的な対話が促進されるでしょう。この対話によって、ストーリーが展開しはじめるのです。

 

(註)
体験の回避によって心が十分に機能しなくなると、たとえば不安障害や身体化障害、解離性障害などのメンタルヘルスの問題が生じることがあります。

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神戸・芦屋・西宮のカウンセリングかささぎ心理相談室

 

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