共感、納得、驚異

ここしばらく小難しい研究紹介が続いていたぞと思ったので、今日は気楽に何か書いてみようと思います。

でも何を書いていいかわからないので、周りにある本を手に取って、適当に開いたページを読んで連想を膨らませてみますね。

こういうのを「本占い」と呼んでおります。

(今日のブログのネタを教えてください、と唱えるのである)

手に取ったのは、

木下達也『天才による凡人のための短歌教室』ナナロク社、2020年

でした。

タイトルがなかなかいいですね。以前に読んで、すごく面白かった記憶があります。

そしておもむろにページを開くと、

「テレビを観ろ、新聞を読め。」というタイトルのついた文章。

ふだんテレビも見ないし、新聞はネットニュースばかりなので、ちょっとドキリとします。

”歌人というとどうも浮世離れした人という平安時代のイメージがまだあるようだが、普通とされていること、常識とされていること、共通認識とされていること、時代の空気がどう動いているかを、知っておくべきだ。常識人であれというよりは、常識人が何を常識と思っているかを知っておくべき、ということである”

ということが真意のようです。

歌人ほど浮世離れしていないとは思いますが、われわれカウンセラーも、ともすれば世間の常識や共通認識から外れた感覚をもっていたり、むしろそれを良しとするような風潮もありますよね。

でもそれだけだとたぶんうまくいかない。

奥田英朗の『空中ブランコ』という小説には、常識外れのぶっとんだ精神科医が登場して、トリックスター的にいろいろとかき回して、結果としてそれが(偶然)治療的に働くというようなストーリーが描かれていました。

小説だから面白いですが、実際にこんな精神科医やカウンセラーがいたらみんな困惑してしまうでしょう。同僚にいても困ります。

『天才による凡人のための短歌教室』にも、常識という共通項があるからこそ、そこにはない新しい価値や独創性を提供できる、といったことが書いてありました。

このバランスによって、「共感」(そうだよね)と「納得」(そう言われてみればそうだよね)と、「驚異」(感嘆符、ときどき疑問符)の歌をつくることができるのだと。

共感の歌の例として挙げられているのはたとえば、

さっきまで騒いでいたのにトイレでは他人みたいな会釈をされる

というものでした。確かにそういうことあるよね、って歌ですね。

納得の歌の例

生前は無名であった鶏がからあげクンとして蘇る

ふむふむ。

驚異の歌も見てみましょう。

「脇の下をみせるざんす」と迫りつつキャデラック型チュッパチャップス

頭の中が赤塚不二夫ワールドになりそうなインパクトの強い歌です(穂村弘さんの作品だそう)。

”驚異の歌は読者が考えられる範囲外のことを提供する。これまで頭のなかにあったことがないし、腑にも落ちないのが驚異の歌だ。異物である。けれど、わからないということ、満足させないということで、その歌に読者を長くとどまり続けさせることができる”

と木下達也さんは書いています。

この話、カウンセリングや心理療法に引きつけて考えてみても面白そうです。

「短歌とかけて心理療法と解く、その心は?」

って感じで連想してみましょうか。

短歌とカウンセリング(心理療法)の共通するところってなんでしょう。

「どちらも言葉を大切にする」

「情感やイメージも重要」

「どちらも形式というか定型がある」(カウンセリングの場合だと、たとえば週1回50分といった枠組みですね)

他にもいろいろとありそうです。

クライエントさんは、これまでの自分のやり方ではどうもうまくいかないということでカウンセリングにやってこられるわけです。

でもそこにはその人の工夫や苦労の歴史がたくさんあるので、うまくいかないからといって簡単に捨ててしまうわけにもいきません。

「そうだよね」と理解されることも大事でしょう。

でもそれだけでも、これまで頭の中にあったことから出ることができません。

カウンセラーは、適切な(あるいはほどほどの)驚きや異物も提供する必要があります。

new objectー新奇な対象、であることにも意味があります。

「この人面白いな」

とか、

「こんな考え方や発想もあるんだ」

って感じてもらうことも大事なんです。

神田橋條治先生が『精神療法面接のコツ』で書いておられたことを思い出します。

人には、自然治癒の力があって、その人なりの工夫という自助の活動がある。

そして、それを抱える環境がある。

大切なのはまずはこうしたことで、心理療法の技法はすべて「異物」として揺さぶりをかける不自然な人工産物である*。

といったお話でした。

カウンセラーは、まずは「そうだよね」と抱える環境をつくり、自助の活動をサポートしながら、その人の自然治癒の力にはたらきかけます。

そしてときどき「異物」としての技法や言葉によって、あるいはそもそも他人にとっては異物である自分の感覚で揺さぶりをかけます。

「驚異」って、異なるもの(コト)に驚くということなんでしょうけれど、驚きと「気づき」って、少し近いところにありますよね。

「ああ!そういうことか!」という気づきには、驚きという感情が含まれています。

それにしてもさ、この本のタイトルがなかなか良いと感じていて、いずれ『天才による凡人のためのカウンセリング教室』なんて本を書いてみようかと、ちょっと思いました。「天災」の方かもしれんけど。

*”異物③は平衡状態へ揺さぶりをかける刺激薬であり、その意味で平和を乱すものである。一種の必要悪である。狭義の〇〇精神療法の核となっている技法がほぼすべて、ここに属している。つまり、異物③はこの図のなかでの、最も不自然な人工産物群である” 神田橋條治『精神療法面接のコツ』(岩崎学術出版社、1990年)、p28-9

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