発達性トラウマ(Developmental Trauma)について

「発達性トラウマ(Developmental Trauma)」は、幼少期に繰り返し、または長期にわたって経験する、養育環境における慢性的で複雑なストレスや虐待、ネグレクトによって生じるトラウマを指す概念です。単一の出来事によるショックトラウマとは異なり、子どもの発達途上の脳や神経システム、そして自己感覚や人間関係の形成に深く、広範な影響を与えることが特徴です。

この概念は、特に米国の精神科医でトラウマ研究者であるベッセル・ヴァン・デア・コーク博士が、その著書『身体はトラウマを記憶する(The Body Keeps the Score)』などで提唱・普及に貢献したことで知られています。彼は、幼少期の複雑なトラウマが、既存の診断カテゴリー(例:心的外傷後ストレス障害/PTSD、境界性パーソナリティ障害、うつ病など)では十分に捉えきれない、特有の症状と影響を持つことを指摘し、「発達性トラウマ障害(Developmental Trauma Disorder: DTD)」という診断名を提案しました。この診断名はDSM(精神疾患の診断・統計マニュアル)には採用されていませんが、臨床や研究の場で重要な概念として広く認識されています。

発達性トラウマの特徴と影響

発達性トラウマは、子どもの成長と発達の様々な側面に影響を及ぼします。主な特徴と影響は以下の通りです。

  1. 長期にわたる反復的な暴露:
    • 身体的虐待、性的虐待、情緒的虐待、ネグレクト(無視・放置)、養育者からの予測不能な反応、養育者との分離、家庭内暴力(DV)への暴露などが含まれます。
    • 単発の出来事ではなく、多くの場合、継続的な環境ストレスとして機能します。
  2. 発達のあらゆる側面への広範な影響:
    • 愛着関係の障害: 養育者との安全な愛着が形成されにくく、対人関係において信頼感の欠如、分離不安、過剰な依存、回避的な行動などを示すことがあります。
    • 感情調整の困難: 感情の識別や表現が難しく、怒り、不安、絶望などの感情が激しく変動したり、逆に感情が麻痺したりすることがあります。
    • 自己感覚の障害: 自分自身の価値を低く見積もり、自己批判的になりやすい。自己の同一性(アイデンティティ)が不安定になることがあります。
    • 行動調整の困難: 衝動的な行動、自傷行為、薬物乱用、摂食障害などのリスクが高まることがあります。
    • 認知能力への影響: 注意力、集中力、記憶力、学習能力に困難が生じることがあります。
    • 身体感覚・生理機能の調整不全: 自律神経系の機能不全が生じやすく、慢性的な身体の痛み、疲労、消化器系の問題、免疫機能の低下などにつながることがあります。ポリヴェーガル理論の視点からは、常にサバイバルモード(闘争・逃走、フリーズ)が活性化し、社会交流システムが抑制されやすい状態と理解できます。
    • 解離: 圧倒的な苦痛から逃れるために、意識や記憶、自己感覚が切り離される解離症状を示すことがあります。
  3. 予測可能性の欠如と安全の感覚の欠如:
    • 幼少期に養育者からの予測可能で安心できる反応が得られないと、子どもは世界が安全な場所であるという基本的な信頼を築くことができません。これが、後年の人間関係や環境への対応に影響を与えます。
  4. 複雑な症状の提示:
    • 発達性トラウマを持つ人は、PTSDの症状(フラッシュバック、悪夢など)だけでなく、気分障害、不安障害、パーソナリティ障害、解離性障害、摂食障害、物質乱用など、複数の精神疾患の症状を併発することが少なくありません。

発達性トラウマへのアプローチ

発達性トラウマの治療と回復には、単一の治療法だけでなく、多様なアプローチを統合的に用いることが効果的とされています。

発達性トラウマは、その性質上、回復に時間がかかることが多いですが、適切なサポートと継続的な自己探求によって、症状の緩和、自己調整能力の向上、そしてより充実した人間関係の構築が可能になります。この概念は、幼少期の経験がその後の人生に与える影響の大きさを再認識させ、より共感的で理解のある支援の重要性を示しています。

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