カウンセリングで夢を語ることの意味:夢と心理療法

新年になって「初夢」について何か書いてみようと思いついたまま放っておいたら、もう2月も半ばです。

手元の本をぱらぱらめくって書き留めておいた夢にまつわる言葉を引いてみます。

“夢は願望充足である” フロイト

“しかし一体全体なんのために分析は必要なのか。なぜ夢は、その意味するところを直接にわれわれに告げ知らせてくれないのか。(・・・)夢歪曲というものはどこから出てきたのか” フロイト

夢は現実では満たすことのできない願望を歪曲したかたちで示してくれている、というのがフロイトの考えです。

“夢分析において一瞬たりとも忘れてならないことは、不確かなこと以外は確かなことなど何もない、あてにならない地面をわれわれは動いている、ということである。それほど逆説的でなくとも、夢を解釈する人に次のように呼びかけたい気分である。「分かろうとさえしなければ、何をしてもよい」” ユング

解釈によって「分かる(分かったつもりになる)」と夢やイメージは、ピンで標本箱に止められた蝶のように生き生きとした動きを失ってしまうとユングは考えていました。

“私は理論的な見解はすべて避け、単に患者が自分自身で夢のイメージを理解しようとするのを援助し、そして法則とか理論は適用しないように努めた”とも述べています。

ロジャーズの流れでフォーカシングを考案したジェンドリンは、夢を見た後の身体の「感じ」(フェルトセンス)に意識を向けることで気づきが得られると考えました。知的な分析や解釈ではなく、フェルトセンスのなかにこそ成長のステップの鍵があると言うのです。

“はじめは、夢は変てこで無意味な、わけのわからないフェルトセンスを残すだけのように思えます。しかし突然に、夢はあなたの生活のある一部分について語りはじめます。あなたはそれを知っているのです。このような気づきは、からだが開放された感じ、からだの中で解き放たれた小さなエネルギーをともなっています。気づきが起こる前は、さまざまな考えがもっともらしく思えました。しかし、気づきが起こった今は、もっともらしいかどうかとか、可能性があるかといったことは、もう問題ではありません。あなたは、それが何なのか知っているのです” ジェンドリン

カウンセリングや心理療法の過程では、ときどき夢が語られます。
来談された方が自発的に夢について話すこともあれば、何かの折りにこちらが尋ねることもあります。
夢からすぐに何かが得られるわけではないのですが、「変てこで無意味な、わけのわからない」イメージを心のどこかにふんわりと置いておくことで、遊びやゆとりの雰囲気が生まれてかえって「問題」や「苦しみ」がほどけていくということがあるようです。

不思議な夢を見たというかたは、神戸/芦屋/西宮のかささぎ心理相談室へどうぞ。

 

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